黄泉の国 ― 愛しい妻を追って、闇の底へ降りた神の物語

神話

火の神が生まれた。
その炎は、母なる女神の体を焼き尽くした。

伊邪那美命(イザナミノミコト)。
伊邪那岐命(イザナギノミコト)とともに日本の島々を生み、数多くの神々を生んだ女神が、最後に生んだ火の神・迦具土神(カグツチ)の炎によって命を落とす。

残されたイザナギの嘆きは深かった。
涙から神が生まれたと伝えられるほどに。

やがてイザナギは、ひとつの決意を固める。
妻に会いたい。もう一度、連れ戻したい。
その想いに突き動かされた神は、死者の赴く国――黄泉の国へと降りていった。

これは、そのときの物語です。

闇の底へ

黄泉の国。
「よみのくに」とも「よもつくに」とも読まれる、死者が住まう世界である。

イザナギは、地上から続く長い道を降りていった。
どれほどの時が流れたのか。
やがてたどり着いた先には、ひとつの御殿があった。

堅く閉ざされた戸の向こうに、イザナミはいた。

イザナギは戸越しに呼びかける。
「愛しい我が妻よ。私とあなたが作っている国は、まだ完成していない。どうか帰ってきてほしい」

闇の奥から返ってきたのは、かすかな、けれど哀しみをたたえた声だった。

「どうしてもっと早く来てくださらなかったのですか。
私はもう、黄泉の国の竈(かまど)で作られた食べ物を口にしてしまいました」

黄泉戸喫(よもつへぐい)。
黄泉の国の食物を口にした者は、もはやその世界の住人となる。
生者の国には戻れない。

それでもイザナミは、夫が遥々訪ねてきたことに心を動かされたのだろう。
「あなたのために、黄泉の神に相談してまいります」と告げた。

そしてひとつだけ、約束を求めた。

「その間、決して私の姿を見ないでください」

破られた約束

イザナギは待った。
戸の前で、闇のなかで、じっと待ち続けた。

どれほどの時間が過ぎただろう。
イザナミは戻らない。

待つという行為は、闇のなかではいっそう長く感じられる。
不安が、焦りが、そして何より妻への想いが、イザナギの心を蝕んでいった。

ついに堪えきれなくなった神は、左の角髪(みづら)に挿していた湯津津間櫛(ゆつつまぐし)の歯を一本折り、火を灯した。

小さな炎が、闇を裂く。

そこに照らし出されたものは――。

蛆が、たかっていた。
かつて美しかった妻の体は崩れ、その上を無数の蛆虫が這い回っている。
頭には大雷(おおいかづち)、胸には火雷(ほのいかづち)、腹には黒雷(くろいかづち)。
左手に若雷、右手に土雷、左足に鳴雷、右足に伏雷。
そして陰(ほと)には析雷(さくいかづち)。
八柱もの雷神が、変わり果てた女神の体にまとわりついていた。

イザナギは、恐れた。
愛する妻を追って降りてきた神は、その妻の姿を見て、逃げ出したのだ。

黄泉比良坂の逃走

「よくも私に恥をかかせましたね」

イザナミの怒りは、黄泉の国を震わせた。
醜い姿を覗かれた屈辱。約束を破られた怒り。

イザナミは黄泉醜女(よもつしこめ)に命じた。
「あの者を捕らえなさい」

闇のなかから、恐ろしい形相の鬼女たちが湧き出る。
イザナギは走った。

追手が迫る。
イザナギは髪に結んだ黒御鬘(くろみかづら)を投げた。
それが地に落ちると、たちまち山葡萄が生え、実がなった。
黄泉醜女たちがその実にむしゃぶりつく。その隙に、イザナギはさらに走る。

だが追手は止まらない。
今度は右の角髪に挿していた櫛を抜き、歯を折って投げた。
すると筍が次々と生え、黄泉醜女たちは再びそれに食らいつく。

しかし、イザナミの怒りはそれでは収まらなかった。
自らの体にいた八柱の雷神に千五百の黄泉軍をつけて、送り出す。

イザナギは腰の十拳剣(とつかのつるぎ)を抜き、後ろ手に振りながら走り続けた。

やがて、遠くにかすかな光が見えた。
黄泉比良坂(よもつひらさか)。
黄泉の国と地上の世界を結ぶ、境界の坂である。

坂のふもとに一本の桃の木が立っていた。
イザナギはその実を三つもぎ取り、追いすがる雷神たちに投げつけた。

桃の霊力は凄まじかった。
雷神たちはたちまち怯み、黄泉の国へ退いていった。

イザナギはこの桃に「意富加牟豆美命(オオカムヅミノミコト)」の名を与え、こう告げたという。
「葦原中国(あしはらのなかつくに)に住む人々が苦しむときには、同じように助けてやってくれ」

桃が魔を祓う力を持つという信仰は、この物語にまで遡るのかもしれない。

千引の岩

雷神は退いた。黄泉軍も退いた。
けれど、最後にイザナミ自身が追いかけてきた。

イザナギは、黄泉比良坂に千人がかりでなければ動かせないほどの巨岩――千引の石(ちびきのいわ)を引いてきて、坂道を塞いだ。

生と死の境が、閉ざされる。

岩を挟んで、二人の神は向かい合った。
かつてともに国を生み、神々を生んだ夫婦が、いまは岩の向こうとこちらに立っている。

イザナミが口を開いた。
「愛しい夫よ。あなたがこのようなことをするのなら、あなたの国の人間を一日に千人、殺しましょう」

イザナギは答えた。
「愛しい妻よ。あなたが千人殺すなら、私は一日に千五百の産屋を建てよう」

この言葉をもって、二神は永遠に別れた。

一日に千人が死に、千五百人が生まれる。
人の世に「死」があるのは、この黄泉の国の物語に始まるのだと、古事記は語っている。

光のなかへ

黄泉の国から生還したイザナギは、自らの体に染みついた死の穢れを祓わなければならなかった。

筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(あわぎはら)。
そこでイザナギは、水に身を浸して禊(みそぎ)を行った。

穢れを落とすたびに、神が生まれた。
体から落ちた穢れからは災いの神々が、それを正す神々が、次々に誕生する。

そして最後に、三柱の神が生まれる。

左の目を洗ったとき、天照大御神(アマテラス)。
右の目を洗ったとき、月読命(ツクヨミ)。
鼻を洗ったとき、建速須佐之男命(スサノオ)。

太陽と月と嵐。
高天原を統べる三貴子(みはしらのうずのみこ)は、黄泉の国の穢れを祓う禊のなかから生まれた。

イザナギはこの三柱の子に、それぞれ世界の支配を託した。
アマテラスには高天原を。ツクヨミには夜の世界を。スサノオには海原を。

妻を失い、死の国を彷徨い、恐怖に追われて逃げ帰った果てに、世界を照らす神が生まれた。
黄泉の国の物語は、ここでようやく終わりを迎える。


千引の岩は、いまも閉ざされたままだという。
あの岩の向こうには、黄泉津大神(よもつおおかみ)となったイザナミが、今も静かに座しているのだろう。

この物語が本当に語っているのは、死の恐ろしさだけではないのかもしれません。
愛しているからこそ追いかけた。愛しているからこそ見てしまった。そして愛しているからこそ、もう二度と会えなくなった。

けれどもその喪失の果てに、世界を照らす光が生まれた。

人は死ぬ。
それでも、生まれてくる命のほうが多い。
黄泉の国の物語は、千年以上の時を越えて、そのことを静かに語り続けています。

古事記の外から眺める黄泉の国

ここからは少し、物語の外に出て補足をしておきます。

この物語には、遠く離れた文化圏の神話と驚くほど似た構造があります。ギリシャ神話のオルフェウスとエウリュディケの物語では、亡き妻を冥界から連れ戻そうとした夫が「振り返ってはならない」という禁忌を破り、妻を永遠に失います。「見るな」の約束を破って愛する者を失うという筋立ては、イザナギの物語とほぼ重なります。

また、黄泉の国の食物を口にしたために帰れなくなるという「黄泉戸喫」は、ギリシャ神話のペルセポネが冥界で柘榴の実を食べたために地上へ完全には戻れなくなる話とよく似ています。愛する者の死、冥界への旅、禁忌と喪失。これらは一つの文化にとどまらない、人間にとって普遍的な物語なのかもしれません。

古事記と日本書紀の記述の違いについても触れておきます。古事記ではこの黄泉の国の物語が詳細に語られますが、日本書紀の本文には対応する記述がありません。日本書紀では「一書」と呼ばれる異伝のなかに類似の話が見られるものの、「黄泉の国」という言葉を用いずに「殯斂(もがり)の処」と表現するものもあり、描き方にはかなりの違いがあります。

黄泉比良坂の所在についても諸説が残っています。古事記は「出雲国の伊賦夜坂(いふやさか)」としており、現在の島根県松江市東出雲町揖屋にはその伝承地が残ります。一方、出雲国風土記では出雲の西部に「黄泉の穴」と呼ばれる洞窟の記載があり、東と西で正反対の位置を指しています。死者の国への入口がどこにあるのか、古代の人々の間でもひとつには定まっていなかったようです。

参考文献・おすすめ書籍

この物語をもっと深く味わいたい方へ、参考になる書籍を紹介します。

  • 『古事記』(角川ソフィア文庫・中村啓信 訳注)
    古事記の全文を現代語訳と注釈付きで読める定番の一冊。黄泉の国の場面も原文から味わえます。
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  • 『日本の神話』(岩波新書・上田正昭)
    日本神話の全体像をコンパクトに掴める入門書。黄泉の国の神話が持つ意味についても触れられています。
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  • 『古事記と日本書紀』(中公新書・神野志隆光)
    古事記と日本書紀の記述の違いを丁寧に読み解く一冊。両書で黄泉の国がどう描かれているかを知りたい方に。
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